美学と概念の関数モデル

先週末の科学基礎論学会(プログラム)に参加して、概念論のワークショップを聞いた。提題者の浅野将秀さんが紹介していたロッツェの関数モデル*1が、以前からなんとなく考えていた概念のはたらきのひとつをすっきり整理してくれるものだった。

関数モデルによると、ひとつの概念とは、それに属する諸事例を比較するための観点になるような諸特徴の組だという*2。比較の観点になるそれぞれの諸特徴は「普遍徴標」と呼ばれる。その概念に属する諸事例*3は、その普遍徴標それぞれの値(「特殊徴標」と呼ばれる)によって同定・差異化される。そして、下位概念を特徴づける値は、さらにその下位概念に属する諸事例を比較するための普遍徴標として機能する。

別の提題者の榎本啄杜さんによれば、フロリディの"levels of abstraction"にも近い考え方が見られるという。ようするに、リレーショナルデータベースにおけるフィールドがおおむね普遍徴標に相当するということらしい(個々のレコードを比較するための観点になるという意味で)。榎本さんがAccessを使って説明していてわかりやすかった。

 

美学関連でも同じような発想にしばしば出くわす(もっと素朴なかたちの理論化だが)。たとえば、ダントーの「アートワールド」における"K-relevant predicates"は明らかに普遍徴標のはたらきを持つものとして想定されている。ユールの『ハーフリアル』の定義論における6項目も、諸々のゲームを比較するための観点として提示されている面がある。ウォルトンの「芸術のカテゴリー」における"standard"と"variable"の関係は、少なくとも部分的に普遍徴標とその値の関係として理解できるだろう。『ビデオゲームの美学』における「ナラデハ特徴」もまた、当のメディア(たとえばビデオゲーム)の特性であると同時に、それに属する個々の事例(たとえば個別のビデオゲーム作品)の特殊性を示す観点になるという意味で、それに近い発想である。

こういうのは"determinable/determinate"という対概念で理解するのがいいのかなとこれまで思っていたが、ロッツェ的な枠組みで考えたほうがすっきりするように思う。

 

ワークショップの後半では、学問的な探究をドライブするものとしての(ある種の発見法としての)概念という話がされていて、これも深く同意できた。アリストテレス的な古典的概念論(外延ベースの入れ子構造、類と種差による特徴づけ)がしっくりくる場面もふつうにあると思うが、とくに概念が持つクリエイティビティを強調するような場面では、関数モデルのほうが適切だろう。

実際、ダントーによれば、新しい芸術的述語を芸術家や批評家が提案することは「アートワールドを豊かにする」わけだし、ユールもまたゲームの「定義」が創造のための(場合によっては逸脱的な創造のための)ツールになると考えている。自分でも(研究上はほぼやらないものの)適当な四象限図をでっちあげて諸々のカルチャーの分類と関係を考えるような場合は、ある種の創造的行為としてそれをやっている気がする。

これはもうちょっと一般化して、理論一般の創造的なはたらきの説明としても考えられる。授業で「理論は物事を考えたり整理したり思いついたりするときのツールになるよ」的なことを言うことがしばしばあるが、そこで言っているのはようするにそういうことなんだろうと思う。もちろんツールは特定の方向に誘導するものでもあるので、そのことにつねに意識的であったほうがいいのだが。

*1:ロッツェの概念論についての浅野さんの論文は以下:http://hdl.handle.net/10748/00011791

*2:聞きながらRPGにおけるキャラクターのステータスみたいなことだなと思っていた。

*3:これはどちらかというと個体というより種(下位概念)のイメージっぽかったが、個体と種に違いを設けているのかどうかはわからなかった。