いつも気になるパラドックス

選挙のときはいつもparadox of voting*1の問題が気になってしまい、可能な応答を少し調べては難しいなあと思ってもやもやしてしまう。

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投票は合理性で説明できるタイプの行為ではないと考えてしまえば、ある意味ではすっきりする。とはいえ、そうするとなんらかの道徳的な前提を持ち出さないかぎり人に要求できなくなるだろうし*2、現行の社会で選挙制度がそれなりに有効に機能していることの説明も難しくなるかもしれない。*3

哲学上のたいていのパラドックスは地に足のついていないふわふわした空中戦に感じるのだが(なので難解なパズルとして気軽に楽しめるのだが)、このパラドックスは自分の生活上の意思決定に直接つながる問題だ。こういうのはやはり何か解決がほしいと思ってしまう。実存がかかってるとはそういうことかもしれない(ちがうかもしれない)。

選挙はいろんな意味で不愉快になることが多いので基本苦手なのだが、選挙のたびに少し勉強しようという気持ちになれるという意味ではいい面もあるのかもしれない。

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*1:同名のパラドックスがいくつかあってややこしいが、ここで問題にしているのは投票行動の(一見したところの)非合理性の話(Down's paradoxとも呼ばれるらしい)。日本語ウィキペディアにある「投票の逆理」はぜんぜん別の話。

*2:個人的には、人に投票行動を要求できない(投票しない人を非難できない)こと自体はとくに問題だとは思わないが、「政治を変えたければ投票に行くべきである」的な見解は擁護されるべきものとして広く共有されているように思われる。そういう主張をするのであれば、投票行動には合理性があると言えたほうがいいだろう。

*3:人間は非合理的な生きものだからと言ってしまえば済みそうだが、そうすると民主主義社会における最重要の制度が非合理性を前提としてデザインされているということになって正直かなり気持ち悪い。