倍速の美学未満

Twitterのちく度を減らそうとしているのでこっちに書いておきます。以下でmine_oさんが示されている「分析美学」への「疑念」に関して。

読解やアーギュメントの作法的なことについていろいろ言いたくなりますが、それはがまんしてチャリティを最大限発揮すると、気にされている点は以下の銭さんのチャートの前提(1)の右を読んでもらえば終了する話だと思われます。

ついでにめちゃくチャリティを発揮して「〔倍速視聴はよろしくないという〕説教を退ける論理」の可能性を2つ挙げておくと:

  • ①不適切な鑑賞はそれにもとづいて作品の批評をしようとしなければ何もわるくない(好き好きに楽しめばよろしい)。
  • ②倍速視聴が適切な鑑賞と認められるような実践が確立しているのであれば少なくともその実践の内部では何もわるくない。

おわり。*1

*1:今日の疑問:なんで「分析美学」に対するこういうのが多いんだろう。他の分野でも同じようなことがあるんだろうか。

ネタバレ美学における森さんの立場が海原雄山的だったせいかもしれない。それだけオンラインで読めるし。

おそらく鑑賞の「適切さ/不適切さ」という概念にみんなひっかかるんだろうと思うが、少なくともそれについて何か言う場合は、議論の適用範囲に十分に注意したうえで、いまある批評実践のあり方を十分に見つめてからにしてほしい。