十年紀とアポストロフィ
【問題】以下のうち適切な表記はどれでしょうか?(複数回答可)
- ① 90s
- ② 90's
- ③ 90s'
- ④ '90s
- ⑤ 1990s
- ⑥ 1990's
- ⑦ 1990s'
- ⑧ '1990s
正解はこちら → *1
十年紀(decade)の英語表記でアポストロフィが使われる場合の適切な使い方について。
以前から「s」の手前にアポストロフィをつける誤表記が多いと思っていたが*2、まったくの間違いというわけでもなさそうなのがわかったので、整理しておきます(結局は間違いと言っていいという結論)。
基本知識
以下は常識的な内容。ここは論点にならないと思われる。
- 本来の表記は「the nineteen-nineties」であり、末尾の「s」は複数形の「s」である(「199x年たち」の意)。
- アラビア数字で書くと「the 1990s」(⑤)。これが一番フォーマルな書き方。
- 西暦の世紀部分を省略する場合、省略箇所にアポストロフィをつける。「the '90s」(④)。これは短縮記号(contraction)や省略記号(omission)としてのアポストロフィの用法である。be動詞や助動詞に使うケースがおなじみだが、スラングでもよく見かける。「drum 'n' bass」「shoot 'em up」とか。
- 年代表記の場合は、この短縮記号のアポストロフィも省略することがよくある。「the 90s」(①)。Chicago Manual of StyleのQ&Aによると、厳密にはアポストロフィをつけたほうがいいらしいが。
- 以上のルールからすれば、「the 1990's」(⑥)や「the 90's」(②)は単純に間違いだということになる(数字と「s」のあいだには何も省略されていないので)。印象としては、国内のテキストだとこの表記がかなり多い。ただし、あとで書くように、アメリカ英語ではこの表記が使われているという説がある。
- 見たことない気がするが、「the '1990s」(⑧)は完全な間違い。
年代の所有格?
「1990年代の」を意味したいとき、つまり所有格にしたいときはどうすればいいか。
- これもCMOSのQ&Aから引くが、基本的には、複数形の「s」を含む語尾の「s」と所有格の「's」が競合するケース一般と同じに考えていいらしい。たとえば「ladies」を所有格にする場合、「ladies's」ではなく「ladies'」となる用法だ。*3
- なので、「1990年代の」は「the 1990s'」(⑦)や「the 90s'」(③)でよいということになる。「the 90's」や「the 1990's」にはならない。
- さらにそのルールだと「the '90s'」という表記も適切だということになるが、シングルクォーテーションで囲っているように見えるので(マヌケ引用符だとむしろそのようにしか見えないので)、避けたほうがいいと思う。
アメリカ英語では「1990's」と書く説
いろいろ調べていると、アメリカ英語だと「1990's」とするのが普通という説がけっこう見つかる。さらには、質問サイトでよくある「どの表記が正しいですか?」という質問に対して「's」を推す回答者が実際に一定数いる(それの反対意見も必ずあるが)。
たとえば、以下の1997年の記事では、アメリカの読者向けでないかぎりは使うべきではないという注意つきではあるものの、アメリカ英語では「the 1970's」と書くべしという記述がある。
2000年刊行のアメリカ英語のスタイル辞典には、もうちょっと詳しいことが書いてある。それによると、アポストロフィをつける表記は1970年代あたりまでは普通だったが、近年はアメリカ英語でもアポストロフィをつけない方向になっているらしい。
- Bryan A. Garner, ed., The Oxford Dictionary of American Usage and Style (Oxford: Oxford University Press, 2000). Online: https://doi.org/10.1093/acref/9780195135084.001.0001
引用しておく。
[p. 25] Apostorohe. [...] Third, it is sometimes used to mark the plural of an acronym, number, or letter--e.g.: CPA's (now more usually CPAs), 1990's (now more usually 1990s), and p's and q's (still with apostrophes because the letters are lowercase).
[p. 95] D. 1990s vs. 1990's. When referring to decades, most professional writers today omit the apostrophe: hence, 1990s instead of 1990's.
[p. 234] D. Decades. As late as the 1970s, editors regularly changed 1970s to 1970's. Today, however, the tendency is to omit the apostrophe.
考えあわせると、もともとアメリカでは「1990's」がそれなりに使われていた時期があったが、いまでは(少なくともフォーマルな場面では)かなり古い表現になっているということだと思われる。自分の経験としても、アメリカの出版社が刊行した新しめの出版物の中で「's」表記を目にした記憶はない。
日本人が書く英文でいまでも「90's」や「1990's」と書くケースがなくならない理由のひとつは、おそらくこの古いアメリカ用法の名残だろう。
アポストロフィと複数形
そもそもなぜ「1990's」という表記があったかというと、短縮記号としての用法とは別に、特定の条件のもとでは例外的にアポストロフィを複数形の「s」の手前に添えるという用法があるからである。
基本的な考え方は、たんに「s」をつけただけだとすわりが悪い場合につけるということらしい(参照)。具体的には以下のケースなど。
- ケース①:単一の文字を複数形にするケース。たとえば「a」の複数形を「a's」にするようなケース。大文字の場合はとくにまぎらわしくないのでアポストロフィをつけなくていいが、小文字の場合はつけないと「as」みたいになってしまうので、つける必要がある(あるいは引用符で括るとかイタリックにするとかすればアポストロフィはいらない)。
- ケース②:自己指示的な単語に複数形の「s」をつけるケース。たとえば「and」という語がその語自体を指しており、かつそれを複数形にする場合に、「and's」とする。これも引用符やイタリックを使えば済むが。
- ケース③:頭字語を複数形にするケースの一部。すべて大文字で構成された頭字語(「DVD」など)についてはそのまま「s」をつけるだけで問題ないが、たとえば見出しなどで頭字語以外もすべて大文字になっているようなケースでは、アポストロフィを加えて「'S」としないとわかりづらいかもしれない。
- ついでに、New York TimesのQ&Aによると、ある種のスタイルルールでは、ピリオドつきの頭字語の複数形の場合は、見やすさのために「's」にするという決まりがあるらしい。ただ、このQ&Aに書いているように、読者はそれを見て文句を言うそうなので、標準的な表記ではないのだろう。
というわけで、「's」を複数形として使うケースは例外的にある。とはいえ、上に引用した辞典に書いてあるように、十年紀の表記にその用法を適用することはなくなりつつあるようだ。
余談
この記事では、都合上アポストロフィをすべていわゆるマヌケ引用符(U+0027。ストレート型で、くるんとなっていないやつ)で表記してあるが、本来はシングルクォーテーションの閉じ側(U+2019)のかたちである。
- U+0027: '
- U+2019: ’
ややこしいことに、Unicodeの規格上はU+0027の名前が「Apostrophe」でU+2019の名前が「Right Single Quotation Mark」なのだが、アポストロフィの見た目としてはU+2019が適切である。
Wordでは設定次第でクォーテーションの開閉が自動で調整されるので、「’90s」のようにU+2019を語の先頭につけるのがちょっとめんどくさい。
*1:①④⑤が適切。条件つきで③⑦も適切なケースがある。解説は本文。
*2:日本人のテキストだと、フォーマルかカジュアルかにかかわらず、たぶん半分以上のケースで間違えているんじゃないかと思うが、ネイティブの英文でも、カジュアルな文章だとたまに間違いを見る。たとえば、Weblioで「the 2010's」が引っかかるが、そこで厚生労働省の文章が例文として引かれていたりして地獄感がある。ポスターデザインなどでもよく間違えてますね。
*3:スタイルルールによっては「s」が末尾に来る単語の所有格にも「's」をつける(つまり「ladies's」にする)こともあるようだ。余談だが、服屋などで「men's」に引っ張られて「kid's」となっていたり、「men's」と「ladies」が並んでいたりするのもよく見かける。これもあるあるの間違いだと思う。