スノッブワールドの作り方

gnckさんのこのタイプのツイートに便乗するかたちで、まいど品のないスノッブdisをツイートしている気がするが、ちくちくセーブ期間中なのでこっちに書く。

いまのところの考え:

  • ルールブックが隠されている(本当にそんなものがあるかどうかはともかく)のはたしかにクソゲーだ。
  • とはいえ、そのこと自体は成熟した美的文化*1一般が持ちがちなエリーティズムのほぼ必然的な帰結であり、とくに悪いことだとは思わない(外から見ればうざいが*2、人のこと言えない)。ルールブックを探す楽しみもあるかもしれない。
  • なぜスノッブワールドができあがるかというと、正統性(ちゃんとしてる)を押し出すことは美的エリーティズム(センスのよさ!)とは別のタイプのエリーティズムであるにもかかわらず、両者が混同されるから。
  • ようするに、作法が高度に発達していくことで、センスが全投入されるような生きた美的実践ではなくなる(にもかかわらず美的文化を詐称する)。これはスノッブが生息しやすい環境だ。
  • スノッブワールドがなぜ悪いかと言うと、徳の低いふるまいをアフォードするから。
  • 徳の低さを競うゲームをしてると考えれば、スノッブもちょっとかっこいいかもしれない(俗物王におれはなる)。

*1:もうちょっと限定すると、アヴァンギャルド(攻めた表現)があるタイプの文化。

*2:ついでに言うと、しばしば持ち出されるゲームの比喩もうざい。

*3:アートの世界が全体としてそうかどうかは知らないが、少なくともその一部にスノビズムの気を色濃く感じる。できれば否定してほしい。