スノッブワールドの作り方
「アートを分からずに文句を言うやつは、スポーツのルールを知らずに文句を言う観客と同じ」っていう言説がいっときあったんだけど、それならさっさとルールブックを見せろよとしか思わなかったな(実際には「ルールを知りたい方はこちら!」と言って有料講座に誘導するんだけど)
— gnck (@gnck) 2021年7月7日
gnckさんのこのタイプのツイートに便乗するかたちで、まいど品のないスノッブdisをツイートしている気がするが、ちくちくセーブ期間中なのでこっちに書く。
いまのところの考え:
- ルールブックが隠されている(本当にそんなものがあるかどうかはともかく)のはたしかにクソゲーだ。
- とはいえ、そのこと自体は成熟した美的文化*1一般が持ちがちなエリーティズムのほぼ必然的な帰結であり、とくに悪いことだとは思わない(外から見ればうざいが*2、人のこと言えない)。ルールブックを探す楽しみもあるかもしれない。
- ようするに、作法が高度に発達していくことで、センスが全投入されるような生きた美的実践ではなくなる(にもかかわらず美的文化を詐称する)。これはスノッブが生息しやすい環境だ。
- スノッブワールドがなぜ悪いかと言うと、徳の低いふるまいをアフォードするから。
- 徳の低さを競うゲームをしてると考えれば、スノッブもちょっとかっこいいかもしれない(俗物王におれはなる)。