愛と批評

最近の若者は批評を嫌う的なくだらない文章を読んだが*1、若者がどうかはともかく、作品に対する理由にもとづいた価値づけ(とりわけネガティブなもの)を嫌う人が一定数いるのはたしかだろう。

授業でも「美的判断は好き嫌いとは違っていて~~」みたいな話をすると、学生からそういう方向のリアクションが返ってくることがまあまあある。ただの美的相対主義ではなく、そもそも作品を語ること自体に対して違和感があるらしい。

 

美学に侵されすぎたせいか、批評を嫌うそういう気持ちはよくわからなかったのだが、最近Sable*2のデモ版についてネガティブなことを言ってるツイートを見ていらっとしたときに、ああこれのことか、と納得した。

納得したというよりは、思い出したというのが正確かもしれない。そういえば、昔はそういう感情をもっといろいろなものに対して持っていた気がする。

いらっ の中身は、単純に作品のポイントがぜんぜんわかってなさそうなことへの腹立ちという面もあったのだが、どちらかと言うと、超絶した作品に対してあれこれ言うな、欠点があろうがなかろうが愛でろ、という気持ちが主だったように思う。

 

部分だけ取り出すな。わるさを見つけようとするな。よさに理由をつけるな。そもそも価値のジャッジを下すな。すべてをそのまま受け入れろ。etc.

この種の規範的な態度にいちばんフィットする概念は、おそらく愛だろう。

愛と批評は明らかに相性が悪いが、両方の態度が文化的対象に対して向けられがちというのは興味深い事実だと思う。

子育ての美学(うちの子がいちばんかわいい)もこういう話になるのかもしれない。

*1:著者名を見たら倍速視聴についてしょうもない文章を書いてたのと同じ人だった。

*2:宮崎的な世界観×バンドデシネ風のアートワークのインディーゲーム。ずっと待望している。 https://store.steampowered.com/app/757310/Sable/